あんつぁんの風の吹くまま

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「医学者は科学者ではない」という意見に賛成です


 緑内障のせいで本を読むのに時間がかかるようになりましたが、なぜか、本を読みたいと云う意欲は相変わらずあるので、読み損ねた、読みたかった本を古本屋(ブックオフ)やアマゾンでまとめて買って来ては、ぼちぼち読んでいます。

 最近、養老孟司の古本を何冊か買って来て読んでいます。

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 東京大学医学部名誉教授の肩書きを持つ文筆家の彼は、一般的に云えば、医学者です。

 彼は唯脳論で、文化や伝統、社会制度はもちろん、言語、意識、心など、人のあらゆる営みは脳という器官の構造に対応しているという考え方、即ち「脳という構造が心という機能と対応」している医学的理論を打ち立てました。

 このことからすれば、脳と云う「心の機能と対応する臓器」によって制御される肉体の研究をする、医学は自然科学の範疇に入れるべきではないと思います。

 ところで、現代では「幼児虐待」や教師が加担した生徒への「いじめ」などが社会問題化しています。こういう問題は医学的にある程度原因がわかっています。

 子供を肉体的あるいは精神的に傷つけた相手が、その子供を癒すはずの相手である事が問題なのです。

 従って、医学的問題を解決するには人間社会を考える必要があるのです。人間社会を言い換えれば、文明文化の発展における都市化と云う問題にもなりますし、それは当然として政治経済問題でもあります。

 しかし、二千年の歴史を持つ文明国家の日本では、「能楽」や「禅」に見られるように、昔から、この心と肉体の相関的問題を煩悩とか欲望、怨霊の問題として宗教的に解決してきたように思います。
 
 ところが、明治時代に西洋医学が幅を利かせるようになった結果、宗教は心理学や倫理的なものになり、「心」も「癒し」も医学の範疇に組み込まれてしまいましたが、虐待とか虐めとかの心の衝動による肉体的問題でも、本来は宗教的な問題であって、日本式仏教はその問題にかなりの解答を出しているように思うのです。
 


【大和魂とは子孫を愛する心のことである】


by antsuan | 2017-07-16 08:30 | 文学・教育・科学・医療 | Trackback | Comments(6)
Commented by mimizu-clone at 2017-07-18 21:05
全ては脳であるという考え方、僕もそうと思います。
例えば怒りは感情とされていますが、衝動制御障害は脳疾患ですものね。
でも、じゃあマニュアル車を廃止して、自動ブレーキ付きAT車ばかりの世の中がいいかというと、それもまたどうでしょう?って話になりますよね。

今の仕事をやめるまでは僕は子どもの虐待に関して語りませんが、虐待は子どもだけが対象じゃなくて、例えばペットに対してもありますよね。
その線引きというのはすごく難しいと思うので、他者を介入させる場合、相応のプログラムと人材配置が必要と考えます。
例えばイルカを保護しようと言いながら蚊を叩き潰すことに一片の良心の呵責もないのが人間。
線引きは不可能じゃないかなと思いますです。
他者の介入が必要じゃないという意味ではありません、念のため。
Commented by antsuan at 2017-07-19 06:15
・キリスト教って、宗教で解決出来るものを学問に押し付けるところがあるように思います。
洗脳と云う言葉があるように、脳の無意識な機能を意識的に固定してしまうのはやはり問題ですね。
おっしゃるような「線引き」を定めるのが宗教ではないかとこの本を読んで感じました。
Commented by cocomerita at 2017-07-22 14:41
ciao antsuan
確かに宗教って線引き 定めるという機能はあるかもしれませんね
しかしながら その線引きという機能も、お金をちらつかせると簡単にチャラにしちゃったり、
金儲けのための戦争の言い訳にしてしまう、と言う情けない世の中ですから
どこまでそれが有効か疑問です

怒りってすごく簡単に増幅するんですよね
ですから その制御が出来ないと大変なことになり、
その制御をできない人が多くなっていると言うことが最近の社会の問題じゃあないかなあ
多分 脳がやられてるんでしょうね
私は近代化と便利過ぎると言うことに原因があると思います
スマホもネットも便利だけど でもその反面 非常に視野を狭くします
怒っている時 空を見上げて なんだ空はこんなに高いのに、こんなちっぽけなことでちっぽけな自分が怒ってるのか、、と視点を変えられれば 怒りも消えると思うんですけどね

若者よ、スマホを捨てて海に出よ。
、、、だよね 笑
Commented by mimizu-clone at 2017-07-22 20:11
>おっしゃるような「線引き」を定めるのが宗教ではないかとこの本を読んで感じました。

信仰は線引きになる場合がありますが、宗教はクソの役にも立たないんじゃないでしょうか。
あんつぁんの言う意味でなら、線引きの役割を果たすのは道徳かと。
方向性というものは必要です。
不自由があるからこそ自由が見えるわけですから。
Commented by antsuan at 2017-07-23 10:33
・cocomeritaさん、近代化が信仰心を希薄にし、「心」を暴走させてしまう弊害があちこちに出てきているのだと思います。
Commented by antsuan at 2017-07-23 10:39
・仏教は、信じるためにあるのではなく、学ぶためにあると、宗教学者は言っていました。
なので、mimizu-cloneさん、少しは役に立つのじゃないかと思っています。つまり宗教=哲学ですね。