あんつぁんの風の吹くまま

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第三の「母のフットプリント」(その二)


  小茜娘雑記(華やかなひと)-2

 その昔、同じ学校のコーラス部で教わった”第九”や”アベ・ベルム”を耳元で歌うと、”よく覚えているわね”と微笑する。長い間、重度の脳性マヒの子供や大人の人たちと関わりを持ってきた私ではあるけれど、あの華やかだった姉がこのようになるとは信じられないことであった。”着物が沢山欲しい!おいしいソーセージが沢山食べたい!”と戦後の便りの中に書いてあったのがつい最近見つかった時、あぁ欲しいだけ着物も持ったし、食べたいだけおいしいものを食べてしまったのだろうか・・と妙な納得をして姉の姿を見た。

 静かにしずかにこの世を去っていくのだろうか。苦しみもなく、痛みもなく・・そして元気な時は気にしていたシワもシミも消えて、唯々細い折れそうな身体を横たえている姉は”来世でも又姉妹でいてね、忘れないでね”という私に”どうも有り難う、忘れるものですか”と答えてくれた。出来ることなら姉の魂が肉体を離れる時は手を握っていたいと強く思う。時間的に離れた場所に住んでいる私だけれど、何時でも行けるように付き添いさんに電話番号を書いて頼んで来た。生死は大いなる者の司る事だけれど、願わくば母の時のように見守りたい。この世を去るよりも残される者の方が寂しくて辛いものだと思うのは姉妹の中で私だけのように思える。肉体を離れた魂の自由を何故か昔から疑った事がなかった。あの故郷の自然の中にきらめくように感じるように美しい魂の数々を私は確かなものとして感じる事が出来た。

 今、この世でそのような事柄を信じる風潮が広がっている。すべての存在はそのままで意味があり価値があり、人間の尺度では計る事は出来ない。母のようにこの姉も又、私にそのことを教えてくれる存在なのだと思う。華やかな美しい姉の変わりようも、ただ魂の浄化を得るためのプロセスのように私には思える。

 私をじっと見つめる茶色の瞳は遠くのものを見つめるように動かない。瞬きもせず、何を見つめているのだろうか・・と問うてみたい気もするが何故か私はいつも聞きそびれて別れてくる。言葉にならないものが見えているのだろうと感じるからかも知れない。華やかな美しい姉の姿が日の光の中で踊って見える。そう云えばモダン・ダンスも習っていたっけ・・・。ヴァイオリンもピアノも絵もお茶も・・そして乗馬もスキーもスケートも・・なんと多くの青春を持った姉だったのだろう。戦争中の私の青春は夕焼けの空と星と、そして雪の青さの中に憧れの姿を見ていたような気がする。いろいろな意味でこの人生はそれなりの収支決算が着くのだろうか。私には健康な身体と心を与えられた。それがこの世でもっとも大きな贈り物だと教えてくれたのは他でもない母と姉であった。その与えられた身体と心とで私は他にお返しをして生きねばならないのだと思った。どんなに小さな事でも、ささやかな事でも・・それでいいのだ・・と華やかな女人の茶色の瞳の中に読んだような気がする。
                        一九九〇年 十月二十八日

   *  *  *

 母にはずいぶんと心配や苦労をかけたけれど、病で床に臥していても安らかな顔だったのは、この叔母の姉妹愛があったからに違いありません。この世に生まれて愛という絆をもてる事が一番の幸せなのだと思います。
by antsuan | 2005-12-26 18:26 | 身の回り・思い出 | Comments(2)
Commented by knaito57 at 2006-01-02 15:22 x
しっとりと読ませていただきました。こういう記事はいつか当ブログ中でも価値あるものになると思います。今年もぼちぼち歩くばかりですが、どうぞよろしく。
Commented by antsuan at 2006-01-02 16:39
年を重ねるにつれ、祖父母や父母などの言った言葉を鮮やかに思い出す事が多くなりました。そう云うひとときを今年もじっくり味わいたいと思います。今年も宜しくお願いいたします。