あんつぁんの風の吹くまま

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無我の体験をすると絶対満足の世界が現われる。

 自然を相手に生活していた人は、淡々と自分の"死"を受け入れていく。

 “思い通りにならないもの”を思い通りにならないと知っていくことが、生死の苦を越える道なのだ。

 仏教は癒しの為の道具では無い。癒し安らぎを得ようと仏教を利用してもそうはならない。掴もうとすればする程より遠くへ逃げて行く。(癒し安らぎを)追うことをやめて、仏教を学び、体験すれば結果的に、分別を離れて安らげるのである。仏教は体験するものである。


東京新聞より抜粋
無我の体験をすると絶対満足の世界が現われる。_d0001610_14131445.jpg
 キリスト教信者の日本人に隠れ仏教徒が多いのは、上記の死生観を自然と会得しているからだと思います。

 即ち、神仏習合の賜物といえると思いますが、大陸文化の人々にこれを理解させるのは難しいことなのでしょうか。



[「祈りとは自然との対話」 こころで尋ねれば こころからの答えがもらえる]
by antsuan | 2017-05-08 13:13 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(2)
Commented by cocomerita at 2017-05-12 19:19
ciao antsuan

 > 自然を相手に生活していた人は、淡々と自分の"死"を受け入れていく。
 “思い通りにならないもの”を思い通りにならないと知っていくことが、生死の苦を越える道なのだ。

久々に!苦笑 全面的に そう思います
、、分かっていそうな人もいるんですけどね
日本人の長所に 良いとこ取りというのがあります
仏教とキリスト教といいとこを取って ある意味妙にバランスの取れたものができてるんじゃあないでしょうかね、、
これ逆だと難しいんです
日本の委ねる。という感覚は欧米人にはなかなか理解できないのだと思います。
Commented by antsuan at 2017-05-12 21:54
・神から人間世界支配を委ねられたと信じている、キリスト教原理主義的国民がいるようですが、その国の最大の戦争をした大統領の「人民の人民による人民のための政治」という言葉は、明らかに、神の存在を無視しています。