あんつぁんの風の吹くまま

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愛は信仰の上にあるもの     「神仏習合」は平和の必要条件

「梟通信~ホンの戯言」の佐平次さんがお奨めする キリスト教の偽善と人間の愛に翻弄されつつ、凛々しく生きた日本人女性の物語。

 キリスト教に関わったことの在る方には、特に読みごたえのある小説です。

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 我々日本人は、母の愛を「神」から見出さず、「仏」にその愛を重ね合わせます。

 「仏」は、欲望をはじめとする種々の力やエネルギーを鎮める存在であり、あるいは慈悲深い存在なのであって、「神」が父であれば、「仏」は母のような存在といえましょう。

   東京新聞より抜粋
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 一神教の社会の人々は、神とは別の仏即ち霊の存在をそろそろ考えてみるべきではないでしょうか。




       *  *  *

正義と博愛の満ち溢れる社会を目差して

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by antsuan | 2016-01-17 21:40 | 文学・教育・科学・医療 | Comments(6)
Commented by mimizu-clone at 2016-01-17 22:53
自分が信じることのできる相手。
例えば父や母や、伴侶や子供や、そして、時々「神」。
その存在を全て信じる必要なんてないでしょう。
でも、たったひとつでも信じるに値するものを持っている相手は肯定できる。
それだけのことだと思いますけど。宗教は。
外国の人の宗教観を知らないので「日本人は」という言い方はできないのですが、あえてするなら、日本人は宗教に対してかまえすぎだと思います。
騙されまい騙されまいとなんかそればっかりに必死になってる感じ。
Commented by hanaco at 2016-01-18 02:18 x
今年初コメントです。読んでみたいです、日々の光。
図書館へ行ってみますね。

今年もよろしくお願いします。

Commented by sweetmitsuki at 2016-01-18 05:58
イスラエルの創世記に登場する造物主と、日本で古くから信仰されている神を、同じ言葉で括るのには、以前から抵抗があります。
イスラエルのそれを神というべきではないでしょう。
日本は寛容な社会ですから異国の教条主義的な宗教も、宗教として認めていますけど、あれは本来、宗教と呼ぶべきものではないと思います。
Commented by antsuan at 2016-01-18 14:19
・mimizu-cloneさん
>日本人は宗教に対してかまえすぎだと思います。

どうやら、宗教に対して構えるようになったのは、明治時代からのようです。
何故構えるようになったかというと、それはキリスト教が入ってきたから。(笑)
他の宗教を否定する一神教のキリスト教に対抗すべく、廃仏毀釈までして天皇崇拝を確立する必要があったんだと思います。
Commented by antsuan at 2016-01-18 14:20
・hanacoさん、この「日々の光」のすごいのは、日本人女性の物語をアメリカ人が書いているところだと思います。これは翻訳本なので評価が正しいか何ともいえませんが、日本人が書く以上に日本的に書かれているような気がします。
でも、女性の目で読むとどうなるのでしょう。
読み終わったら感想を是非そちらのブログに書いて下さい。
Commented by antsuan at 2016-01-18 14:21
・sweetmitsukさん、
わたしが小学校に上がる頃は、まだ創造主を神とは云わず、天主様と呼んでいたと思います。
ですから、日本が寛容な社会だから教条的な宗教を宗教として認めたのではなく、戦後の占領政策、ウォーギルドインフォメーションプログラムによって、洗脳されたんです。