あんつぁんの風の吹くまま

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ラテン語に主語はいらない?  日本の文化では主体を置かず状況で動く

 わたしも養老孟司のように「主体性」と云う言葉に翻弄されていました。

 母校である清泉小学校が、創立以来続けて来た、卒業式における日の丸の掲揚と君が代の斉唱をやめたことを知った時、校長にその真意を問い合わせたところ、神のアイデンティティー確立のため、という返事をもらったことがあるからです。

 しかし、この論文を読んでようやく、腑に落ちた気がします。


 
    月間ボイス九月号から抜粋
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 [ 分かち合うことが出来れば、悲しみは半分に、喜びは二倍になる ]
by antsuan | 2015-09-09 17:42 | 文学・教育・科学・医療 | Comments(0)