あんつぁんの風の吹くまま

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連絡船の女(ひと)

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 いまから三十年以上も前の北海道の大学を受験した帰りことだった。急ぐ旅でもないので列車で横浜に戻ることにした。当時は東北新幹線もなく青函トンネルも出来ていない、特急列車と青函連絡船を乗り継いで行く旅だ。

 青函連絡船の客室の半分ぐらいは先の特急列車の乗客で席が埋まっていただろうか。その後、函館からの乗客がドカドカと乗り込んできて、小包みを抱えた婦人が「ここは空いていますか」と声を掛けてきた。少し眠たくはあったが目を覚ましていた私は、「どうぞ」と自分の荷物を別のところへ置いて席を空けた。其の婦人は少し落ち着かない様子であった。しかし自分も家に帰るだけで楽しい旅であるわけではない、客室が暗くなったのを機に目をつぶって休むことにした。

 船はまだ外海に出ていないのであろうか、殆ど揺れを感じさせないで航行している。すると、隣の婦人が声を掛けてきた。「大阪に行くには、東北本線を使うのと日本海側を行くのと、どちらが速いですか」
 乗車券だけで特急券はまだ買っていないらしい。そんなことは乗務員にでも聞いてくればよさそうにと思ったが、接続しているのは東北本線の特急の方である。「すぐに連絡しているのは東北本線の方でしょう。」そう、ぶっきらぼうに応えた。

 彼女は続けて、自分の実家に初めて行かせた子供が風邪を引いてしまって、迎えに来てくれと云うので、此れから引き取りに行くところなのだと言う。私は大学浪人の青二才であった。そんな人間に声を掛けてくること自体が驚きであったが、何することも無い真夜中の連絡船の中である。静かに彼女の話を聞くことにした。

 大阪から結婚のために函館にやって来たが、主人以外誰も知った人がいなくて、新婚当時は毎日まいにち泣いて暮らしていたこと。主人が仕事から帰ってくると嬉しくて嬉しくて本当に抱きついてしまったこと。冬になり雪が降り積もったのを見て、「今日はお仕事休みですよね」と主人に言ったら、「バカッ」と怒鳴られたこと。

 いまでは函館の人になり切っているような彼女の身の上話は、結婚もしていない自分が聞くにはとても恥ずかしく、また相応しくないことのように思えて戸惑うばかりだったが、同時に、閉ざしていた自分の心のカーテンをそっと押し開ける、生暖かい風に触れたような感じがしたのである。

 青森で連絡船を降りるとき、「駅員に聞いてみます」と言ってそそくさと別れの挨拶をしたきり、其の婦人は行ってしまった。最初から他人であった。そして名前も聞かない他人のままであった。

 しかし、旅をするごとに、津軽海峡を渡る想いを語ってくれたこの婦人のことを、初恋の人のように思い出さずにはいられないのである。
by antsuan | 2005-04-16 00:03 | 身の回り・思い出 | Trackback | Comments(0)
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