あんつぁんの風の吹くまま

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「過ちは二度と繰り返しませんから」は、科学が神の手によるものであることを知らぬ者の言葉である

東京新聞 TOKYO Web 【コラム】
筆洗
2013年10月5日
 一九六一年の一月二十日、ケネディ大統領は歴史的な就任演説で、ソ連を念頭にこう呼び掛けた。「新たに平和への道を進もうではないか。科学により解き放たれた破壊的な力が意図的にせよ、偶発的にせよ、人類を自滅に追い込む前に」▼その三日後、米ノースカロライナ州の基地を飛び立ったB52爆撃機が、制御不能に陥った。水爆が落下し、起爆装置が作動した。偶発的事故を防ぐための四つの安全装置のうち三つは作動しなかった▼最後の一つがかろうじて動き、最悪の事態は免れた。爆発していれば、死の灰でワシントンをはじめ数百万の命が脅かされたはずだ。調査にあたった専門家は、爆発を防いだ装置が簡単にショートしてしまうような脆(もろ)い装置だったことを突き止め、「合衆国と大惨事の間にあったのは、一つの簡素なスイッチだけであった」と指摘した▼この事故の真相が暴かれたのは、ごく最近だ。米政府は繰り返し、自国の核兵器が国民の生命を脅かすことなどないと説明していた。国家の秘密とは、そういうものなのだろう▼機密指定が解除された文書から核事故の実態を発掘したジャーナリストのE・シュローサー氏は英紙に語った。「私たちが危険なものを生み出す能力は、それをコントロールする能力を凌駕(りょうが)しているのだ」と▼汚染水漏れが止まらぬ福島の原発もまた、それを証明している。


 広島の原爆死没者慰霊碑に刻まれている、「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」という言葉は、科学を制御出来ると思い込んでいる、愚かな人間の傲慢さを現している。

 それ故、わたしはこの誓いから手痛いしっぺ返しを受けると思っていたが、それが『フクイチ事変』だったとは。

 今こそ、日本人である我々は、神を畏れる心を取り戻し、科学に対してもっと謙虚になるべきである。



  過ちを見てそれを正そうとしなければ過ちを犯した者と同罪だ
by antsuan | 2013-10-05 23:39 | 文学・教育・科学・医療 | Trackback | Comments(0)
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