あんつぁんの風の吹くまま

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戦後 キリスト教民主主義は日本に根付いたか

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 太平洋戦争はまさに「黒船の再来」でした。

 それは降伏文書調印式場となった戦艦ミズーリ号に、幕末の浦賀に来航した、ペリー提督の黒船に掲げた星条旗が、掲げられていたことからも証明されています。

 つまり、ペリー提督が浦賀に来た時から、米国は日本を占領すべく狙っていたのです。しかし、アメリカ国内で南北戦争が始まってしまい、その後も暫くは国力が疲弊したために、日本への侵略は諦めていたのです。

 その後、義和団の乱や、日露戦争で日本が大勝利したことにより、支那大陸侵略の芽を摘まれてしまった米国は、明確に日本を敵国として侵略の機を窺い、改めて戦略を立て直していたのです。

 もうお分かりでしょう。東京裁判で侵略戦争をした罪に問われるべきは、日本ではなく、何十年も前から戦略を立てていた、米国なのです。

 つまり、何十年も前からしっかりした戦略を立てていたからこそ、新しく出来た戦時国際法を全く無視して、占領軍は被占領国民の思想信条まで踏み込み、改宗させるべく、占領政策を次から次へと実行に移したのでした。

 その歴史を振り返ってみると、米国の建国理念である、エンコミエンダ政策そのものであることが分かります。

 しかし幸いなことに、マッカーサー元帥の神学は、日本の武士道精神と殆ど変わらなかったために、特に海軍の街であった横須賀では、積極的に受け入れられたのでした。

 
 


 [ かんしゃくを起こすと、友人を失う  嘘をつくと、自分自身を失う ]
by antsuan | 2013-07-05 17:04 | 文学・教育・科学・医療 | Trackback | Comments(2)
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Commented by sweetmitsuki at 2013-07-06 18:37
残念なのは、日本としてもアメリカとの戦争を想定においていながら、あのような玉砕戦に挑んだこと。
ハワイ王朝の復権を条件に講和を申し出たなら、あのようなことにはならなかったでしょうに。
Commented by antsuan at 2013-07-06 20:10
・日本が動いた停戦に向けての工作は、すべて握りつぶされています。
カイロ会談の眞相を掴んでいたのに、その内容の電文が、何処かに消えてしまったのです。
恐らく、暗号が解読されていただけでなく、外務省に米国の工作員がいたとみて間違いないでしょう。