あんつぁんの風の吹くまま

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戦後教育で教えなくなったもの それは『愛』です

 先日、『るいネット』の【272960 体罰は日本の伝統ではない】というブログ記事を、HOOPさんが紹介して下さいましたので、ここにも転記して、紹介いたします。

日本人と縄文体質
272960体罰は日本の伝統ではない
 
mosimobox ( 20代 鹿児島 会社員 ) 13/02/11 PM07

「しつけ」について、欧米人は体罰を与えて子供をしつけているのに対して日本人は庶民も武士も体罰を与えずしつけを行っていたようです。

いい話・コピペ保管庫リンクより引用します。

***以下引用***
体罰は日本の伝統なんかではありません。むしろ日本のしつけや教育は、体罰を使わないことで、欧米人に驚かれることが多かったのです。つまり日本の伝統は、むしろ体罰を用いないところにあるといえるでしょう。

渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー、2005年)では、日本の温和な子育てについて、昔の多くの欧米人の記述が引用されています。
たとえば、戦国時代(16世紀)に日本を訪れたポルトガル出身の宣教師フロイスは次のように記しています。
「われわれの間では普通鞭で打って息子を懲罰する。日本ではそういうことは滅多におこなわれない。ただ言葉によって譴責するだけである」。
江戸時代以降でも同じだったようです。
「注目すべきことに、この国ではどこでも子供をむち打つことはほとんどない。子供に対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし、家庭でも船(長崎から江戸への船旅)でも子供を打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった」(18世紀後半に日本を訪れたスェーデン人ツュンベリ)。
「日本人の性格として、子供の無邪気な行為に対しては寛大すぎるほど寛大で、手で打つことなどとてもできることではないくらいである」(19世紀前半の日本を訪れたオランダ人フィッセル)。
「私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい」(19世紀後半(明治初期)の日本をみたアメリカ人モース)。

実際、江戸時代の子育ては、非常に温和で、子供を大事にしたようですね。( ^^)/(^^) ナデナテ
「溺愛」といっていいほど子供をかわいがり、その一方で子育てに対する人々の知的関心も庶民にいたるまで高く、数多くの育児書が出版されていました(中江和恵『江戸の子育て』(文春新書、2003年))
日本における体罰の歴史を研究した江森一郎氏によると、江戸時代の始め(17世紀前半)ごろから、日本人は、家庭や学校(寺子屋など)で体罰をほぼ用いなくなったそうです(『体罰の社会史』新曜社、1989年)。
上記で触れた日本を訪れた欧米人の言葉からもわかるように、同時代の欧米や中国ではムチで打つなどの体罰がさかんだったため、体罰の少なさは、日本のしつけや教育の際立った特徴でした。

江森氏は、庶民教育を担った寺子屋では、罰として、居残りさせたり、立たせたりすることは行われていたようですが、体罰は非常に少なかったと推測しています。
藩校など武士の教育機関でも、同様だったようです。武士は誇りを重んじ、体罰は体面を傷つけると考えられたことから、武士の教育でも体罰はあまり用いられなかったというわけです。
江森氏は、「武士のモラルがわかり興味深い話」として次のエピソードを紹介しています。
明治六年に、できたばかりの日本の海軍兵学寮(のちの海軍兵学校)は、英国海軍少佐ドークラスを招聘し「新兵学寮規則」を制定しました。ただ、その際、佐賀藩士出身の校長・中牟田倉之助は、英海軍式の鉄拳制裁を、「武士の伝統と作法を説き、頑として受け付けなかった」そうです(江森氏が参照している元ネタは、鎌田芳朗『海軍兵学校物語』(原書房、1979年))。

つまり江戸時代には、庶民も武士も、子供への体罰を強く嫌っていたといえるでしょう。
明治12年(1879年)に教育令が定められるのですが、そこには「凡そ学校に於ては、生徒に体罰を加うべからず」(第46条)と体罰禁止規定が明文化されました。
日本が体罰禁止規定を法文化したのは、欧米の大多数の国々よりむしろ早かったのです。江森氏によれば、「学校体罰法禁の西欧最先進国であるフランスでさえ、(日本の)教育令の規定より8年遅れている」のですから。

日本の学校で体罰が結構みられるようになったのは、1930年代から第二次大戦中にかけてのようです。
近代化が進み、江戸の記憶が薄れてきたころから、まず日本の軍隊が徐々に変質し、鉄拳制裁が行われるようになった。そして、その影響が、学校での軍事教練などを通じて、次第に、1930年あたりから学校教育の現場に伝わった。そのように描けるのかもしれません。
この点について、著名な文化人類学者・梅棹忠夫氏(1920年生まれ)は、あるシンポジウムで、自身の体験にもとづき、「一つの証言」として体罰について次のように述べていました。

「私は、1920年代に幼稚園、小学校教育を受けた、まさに戦前の非民主主義教育を受けた人間ですけれども、私の記憶の中には、たたかれたという記憶は一切ありません。…体罰というのは考えたこともない。全然ありません。…日本はもともと幼児に対する観念が(欧米などと)非常に違うんだ。たたいたりはしない」(梅棹忠夫・栗田靖之編『知と教養の文明学』中央公論社、1991年)。

同じシンポジウムで、日本政治思想史の研究者・渡辺浩氏も次のように述べています。
「ある人の説なのですけれども、体罰というとまず思い出すのが軍隊における私的制裁ですが、それがいつごろ帝国軍隊ではじまったかというと、第一次大戦後ぐらいからだという。明治時代にはやらなかったというのです。
それまでは士族が多かったので、その感覚が残っていた。侍の上位者がその下の侍の顔をなぐるというのはちょっと考えられないというわけです。侍は名誉心が非常に強いですから、人格的な屈辱を与えちゃまずいのですね。そうすると死に物狂いで反抗してくる可能性がある。たとえ主君であっても家来の侍を人格的に侮辱すると、死に物狂いに反抗しうる。
軍隊の私刑は…、…むしろ武士的なものがなくなってから軍隊ではじまったんだという説があるのです。それが1930年代になったら、学校教育へ還流してきたと言えるのかもしれません」(同上書)。

戦後は、どうなんでしょう。
読者の皆様のなかにも、個人的体験から、「結構、先生にたたかれた」という人、あるいは逆に「ほとんどたたかれたりしなかった」という人が、それぞれいらっしゃるんではないかと思います。
一般的には、日本の家庭や学校でのしつけや教育(特に初等教育)は、意外だと思われるかもしれませんが、欧米と比較して、温和で、情緒や人間関係を大切にし、非権威主義的だと言えるようです。

たとえば、アメリカの教育学者キャサリン・C・ルイス氏は、現代日本の学校教育、特に初等教育をとても高く評価しています。
ルイス氏は、日本の親や教師は、アメリカに比べて、頭ごなしに命令したりルールを押し付けたりするなど権威主義的にふるまうことが少なく、子供の自発性を大切にしている、学業面だけではなく情緒や共感性や意欲など全人格的発達を重視している、と論じています。

***以上引用終わり***


 この記事を読んでわかるように、日本人は"人間の権利"などとという前から、「生き物への愛」を尊重していたのでした。

 思えば、戦後教育で教えなくなったのが、この『愛』に他なりません。

 日本人の精神を骨抜きにするために、神道につながる、親子の愛、家族愛、隣人愛、師弟愛、郷土愛、祖国愛。そして、仏教的な生き物への愛も、教えなくなったのです。








  過ちを見てそれを正そうとしなければ過ちを犯した者と同罪だ
by antsuan | 2013-06-06 10:19 | 文学・教育・科学・医療 | Trackback | Comments(2)
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Commented by sweetmitsuki at 2013-06-08 04:50
ラフカディオ・ハーンも同じことを書いていました。
ハーンが生きていたころの日本には、部屋の隅にも戸の隙間にも野外にもそこかしこに小さな神さまがいて、子供たちが遊ぶ玩具のひとつひとつにも神さまが宿っていて、お行儀よく育つよう見守っていたそうです。
悪戯な子供には、脅かしたり懲らしめたりもしていたそうです。
ですから、親が叱ったりする必要はなかったといいます。
ハーンによれば、この小さな神様たちは、日本に新しく入ってきた鉄道や電信柱の光にびっくりして姿を消してしまったらしいそうです。
Commented by antsuan at 2013-06-08 07:39
・そうなんですね。日本の神様は愛そのものなのですね。
吃驚して姿を消した神様でも、日本人が機械を扱うようになったら、その機械にまた神様が宿るようになったのではないでしょうか。
フクイチの原発は米国GE製の日本の神様が宿っていないものだったのかも知れません。