あんつぁんの風の吹くまま

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"戦争"と"外交"は 現象としては違うけれども 本質は同じものである

 拙ブログのライフログに、「悲劇週間」という、詩人・堀口大學の青春を綴った本を紹介しているが、その本の装幀の帯には次のように書かれている。

「あのころぼくは二十歳だった。    詩に情熱を注いでいたぼくは、日本最初の外交官としてメキシコに赴任していた父に呼ばれ、地球の裏側に旅立った。そこには、奇想天外、驚天動地、ぼくにとって未知なる領域、すなわち恋と詩と革命のめくるめく世界がひろがっていたー。」

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 堀口大學の父は、朝鮮の閔妃暗殺事件に関与したとされ、日の当たらない外交官の道を歩んだが、メキシコの反革命軍事クーデターの際には、身を挺して大統領の家族を保護し、サムライ外交官と謳われ、大東亜戦争中には、「アングロサクソンの残忍性」「今度は米国は負ける」などの文章を書いた、堀口九萬一である。

 その「悲劇週間」の中で、堀口九萬一は息子の大學に向かって、「外交とは言葉でやる戦争だよ」と教えるのだ。

 おそらくそれは本当の事だったと思う。しかし、戦後のGHQの言論統制を受けた日本においては、公にできる言葉ではなかった。あの戦争の真の意味を知る愛国者は寡黙になったのである。

 よって、国家の基本法である憲法すら、言論統制の最中に改定させられても、愛国者は何も言わなかった。

 だが、歴史を改竄されたままでは、これからの世界を生きる子孫のために、決して良い事ではない。少なくとも、歴史を改竄された事を知り、言論統制下に憲法を改定された事を知った者は、世界に向かって、堂々と、言葉でやる戦争を仕掛けるべきなのだ。

 アメリカ大陸の歴史は、「白人による侵略史」そのものであり、その残虐性は支那人の残虐性に勝るとも劣らないものである事を、あらゆる外交の場で糾弾するべきなのである。










 [ かんしゃくを起こすと、友人を失う  嘘をつくと、自分自身を失う ]
by antsuan | 2013-06-01 06:38 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(2)
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Commented by Emitan at 2013-06-13 01:16 x
単なるヒステリックでは在りませんか?国の代表の言動としては許されません!
Commented by antsuan at 2013-06-14 00:58
・Emitanさん、コメントする記事をお間違えでは?
シャラップ上田人権人道大使のことですよね?