あんつぁんの風の吹くまま

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「弔う」とは死者の思いを訪れ、問い尋ねて聴いてやることである

 日本人ほど、死者の思いを知る民族は、居ないのではないでしょうか。それは、宗教哲学者である山折哲雄の言葉を借りれば、神と人間と仏は、前世から現代、そして未来へと、連続してつながっているものであり、鎮魂こそが、未来へと生きるための、生者の慰めになっているのだと思うのです。

 残念ながら、古都鎌倉の近くに住んでいながら、日本を代表する芸能である「能」を、一度しか観たことがありません。しかし、この新聞記事に書いてあるように、能の演目の多くは、怨念と鎮魂が主題になっているようです。

 つまり、生前どうにもならない、悲しみや苦しみを抱いたまま死んで亡霊となったものがシテ(主人公)であり、そうしたシテのところに、ワキ(脇役)の僧が訪れ問うことによって、シテがこの世に残した思いが聴き届けられ、再現されるという形は、大陸の思想とはおよそかけ離れた、死んだ者へ感謝することによって生者は護られるという、日本的仏教思想を表しているのだと、感ぜずにはいられません。


          十二月八日の東京新聞朝刊より抜粋
      新聞記事をクリックすると大きくなって読みやすくなります

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[祈りとは自然との対話のこと 
 こころで尋ねれば こころからの答えがもらえる]

by antsuan | 2012-12-14 12:29 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(4)
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Commented by sweetmitsuki at 2012-12-14 18:45
大陸のお弔いは紙に描いたお金や家電製品や美女やらをお棺に入れるとかワケワカリマセン。
日本のお弔いでは葬式饅頭が振舞われますけど、そういえばチャイナのお菓子にはロクなものがありませんね。
杏仁豆腐は本当は・・・おっと、これは武士の情けですからやめときましょう。
Commented by antsuan at 2012-12-14 20:25
・敗者の霊を鎮めるという日本の発想はいったいいつごろ起こったのでしょうね。
わたしは老子は日本人のような気がしてしかたがないのです。
Commented by cocomerita at 2012-12-16 23:16
Ciao antsuan
お久しぶりです
いい文章を読ませていただきました
ありがとう
悼むがわが心の痛みから、、誠にその通りだと思います

そして、逝ってしまった人を思い出すことが傷をまた開く事につながっても、忘れたくないという気持ちも良くわかりますし、思い出す事が供養に繋がると、それもまたよくわかるんですよね
人間って苦しむために生きてる生き物かも、、と時々思います
Commented by antsuan at 2012-12-16 23:39
・ cocomeritaさん、未来の人々が自分たちの苦しみを理解してくれると分かればこそ、その苦しみを乗り越えられるのではないでしょうか。
何時かは亡き人になる自分のために、逝ってしまった人を深く思い起こしてみたいと思います。