あんつぁんの風の吹くまま

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究極の愛について

 初めに断っておきますが、究極の愛がどんなものか、まだわたしは理解しておりません。以前に、究極の恋とは何かを、ブログで論じ合った事があります。その時は、失恋こそが究極の恋であると、みんなの意見が一致しました。

 ところで、愛にはいろんなものがあります。自己愛、夫婦愛、母親の愛、家族愛、郷土愛、祖国愛。しかし、"かわいがり慈しむ気持ち"を愛と表現する以上、恋と同じように、愛にも一方的なものがあります。

 恐らく、神の愛もその範疇に入るのだと思います。では、神の愛は究極の愛でしょうか。そうは思いません。一方的な愛は、たとえ神の愛であっても、究極の愛とはいえないと思います。

 神の愛はややもすると純潔さを求めます。しかし、愛と貞操はけっして不可分ものでは無いと考えます。

 日本では毎年三万人以上の自殺者がいるといわれていますが、彼らは自己愛がないから自殺するのでしょうか。違うと思うのです。彼らが自殺するのは、社会に充ち満ちた悪から、己の心の純潔、すなわち操を守るためだと思うのです。

 このように、純潔と拮抗するような愛は、究極の愛とはいえないと思うのです。

 では、究極の愛に必要な条件とは何なのでしょう。それは相互愛だと思うのです。神と人、人と人、人と動物、そういう相互の関係があってこそ、愛は最も高められて行くのだと思います。

 日本では若い男女にしか見かけませんが、外国では年配の夫婦でも、普通に手を組み抱き合っている光景を見かけます。お互いをかわいがり慈しむ気持ちを普通に表現しているのです。こういうボディランゲージこそが、相互愛だと思うのです。

 もちろん、心と心だけの相互愛もあります。特攻隊精神はまさに相互愛だと思うのです。しかし、自分を犠牲にする相互愛が究極の愛なのかどうか、残念ながらわたしには分かりません。

 いずれにしろ、愛はどんな形にしろ表現しなくては意味がないと思います。そんなわけで、遅まきながら若い人を真似て、わたしもちょっとしたボディランゲージを心がけています。

 そうそう、とどのつまりは、究極の愛など、どうでもいいのです。

 


[ あなたが生まれたとき周りの人は笑って、あなたが泣いたでしょう だから、あなたが死ぬときはあなたが笑って、周りの人が泣くような人生を送りなさい ]
by antsuan | 2012-10-12 12:18 | 思想・瞑想・時代考証 | Comments(4)
Commented by Emitan at 2012-10-12 17:35 x
あんつぁんのボディーランゲージの様子を想像して仕舞ました。ごめん!エロースとアガペーとかこれは一方的なものですか?セットでは無いですよね?それから恋に恋した時代も在りましたね。条件が変われば愛も変わるって事在りませんか?それでも不変の愛?
Commented by antsuan at 2012-10-12 20:24
・あはは、わたしのボディーランゲージはかわいいもんですよ。
ただ手を握るだけ。(笑) いままでこんなことが出来なかったんです。 もちろん、愛は不変です。
Commented by sweetmitsuki at 2012-10-12 21:13
ちょっとしたボディランゲージその2
(握った手を見つめて)「ちょっと働き過ぎじゃないのかい。今の若い女性たちは、ネイルサロンというところに通っているそうだから、今度行っておいで。これで足りるかな。」といって財布から万札を出す。

私もそういう男性に巡り合いたいです。
Commented by antsuan at 2012-10-12 22:09
・mitsukiさん、「風と共に去りぬ」のレッド・バトラーは違いましたね。そういう強い女性から離れていってしまいました。
相互愛ってやっぱり難しい。だから、さりげないボディーランゲージが大切なのだと思います。六十過ぎの今ごろになって気がついたことなのですが。