あんつぁんの風の吹くまま

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市民は大衆にあらず

 これはカソルラさんのブログ、村人生活@スペイン「赦すと言うこと」へのトラックバックです。

 新約聖書の話になると、幼稚園から高校までキリスト教系の学校で学んできたものとして、考察する度についつい興奮してしまうのですのですが、日本人にとって放蕩息子の話は、やはり難解の部類に入るのではないでしょうか。少なくとも、私は高校時代にこのはなしを理解し得たとはとてもいえませんでした。

 この聖書の喩えは、息子が落ちぶれて人間以下になってしまったのに、悔い改めて人間らしく生きる道を選んだのだから喜ぶべきなのだという教えなのです。この放蕩息子を赦した父は神を、悔い改めた放蕩息子は人間を表現しているといわれていますが、これこそが一神教的思想の典型的なものでありましょう。

 一神教にとっての人間とは、神が赦して下さる人間であり、神が認めない(赦さない)異教徒は人間ではないのです。もう少し発展させていえば、神が認める人間が支配者であり、中世まではその支配者を王といっていたのです。

 また、王に忠誠を誓った者は市民といわれましたが、その他の大衆は人間とは見做されなかったのです。"大衆"は結局のところ家畜と変わらない奴隷だったのです。

 話はちょっと飛躍しますが、民主主義の"民主"とか、リンカーン大統領の「人民の人民のための人民による政治」の"人民"とかの民とは、神(バチカン、教会)が任命した支配者である王抜きの、神が赦したもうた人間である市民(貴族)をいうのであって、異教徒や黒人、黄色人種は「市民」の範疇には初めから入っていないのであります。

 従って、民主主義とは大衆、庶民を主人とした主義思想では全く、いや断じてないのです。
by antsuan | 2012-04-03 18:57 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(12)
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Commented by sweetmitsuki at 2012-04-03 19:37
古代において、仁徳天皇は宮城から下界を見下ろして「かまどの煙が見えない、これは民がご飯を炊いていないに違いない。」といって税を免除したそうです。
税を取らなかった結果、宮城はぼろぼろになってしまいましたが、仁徳天皇は下界から登る煙をみて「民が豊かになったので私の心も豊かになった。」といったそうです。
この事に喜んだ民は仁徳天皇のために大きなお墓を作り、大仙陵古墳が仁徳天皇のお墓だといわれているのはこのためです。
この話が本当かどうかは分かりませんけれども、民あっての国家という思想は古代からあったのは間違いないのじゃないでしょうか。
Commented by Emitan at 2012-04-03 22:35 x
単一民族(弥生人)が駆逐した縄文人(沖縄台湾と北海道に少しだけ生き延びている)を除けば奴隷の存在が日常的で無い日本はあんっあんの言う意味が理解し難いかも知れません。即ち日本に於いては、庶民も市民も同じではないかと思うのですが、勘違いでしょうか?私も幼稚園と高校がカソリックでした。反吐が出そうです。ユダヤ人は他の人種は人間だと思っていないでしょうね!?そうだキリスト教では初めからマジメだった人は見向きもされず、放蕩の末に改心した人の方が偉い様に見られますよね?
Commented by cazorla at 2012-04-03 23:08
トラックバックありがとうございます。
あんつぁんって キリスト教の学校だったんですね。
昔の記事で読んでいましたが ついつい あんつぁんと話していると忘れてしまいます。 自衛隊にいらしたというのは よくおぼえているんですが (なぜ? 笑)
この放蕩息子の話 まあ父親だったら受け入れるとして 兄の気持ちも ちょっと考えると気の毒だな と 人間社会的にかんがえてしまうのです。 

コメントの仁徳天皇のお話 よいお話ですね。
Commented by HOOP at 2012-04-04 07:41
西洋版悪人正機説ですか
Commented by antsuan at 2012-04-04 12:20
・mitsukiさん、最古の土器が日本列島にあるように、神と人間(庶民)の交流、つまりmitsukiさんのいわれる「民あっての国家」は、世界のどの民族より日本人が先駆けていたことは間違いありませんね。もっとはっきり云えば、日本は自然発生的に成立した、世界で最初の、そして唯一の、国家なのです。
Commented by antsuan at 2012-04-04 12:20
・Emitanさん、「原罪」の問題なのだと思います。
三浦綾子の「氷点」にみられるように、実はあの本をまともの読んだわけではないのですが、女の人って簡単に罪深き人を赦し受け入れるところがあると思いませんか。まるで神様のように。
よって、人種問題を解決するには女の人を崇め大切にするのが一番なのだとマジで思っています。同時に、これが多神教の起源だと信じているんですが。(笑)
Commented by antsuan at 2012-04-04 12:21
・カソルラさん、あの放蕩息子のたとえ話に出てくる長男は本当に気の毒ですよね。でも、自分の心の中に潜んでいる悪を認識していない善人は悪人であるということをあのたとえ話は伝えているようですが、キリスト教では、産まれてくる赤ちゃんは神の教えを理解できないただの生き物としか見ていないのですから、日本文化とのズレは相当大きなものがありますね。
Commented by antsuan at 2012-04-04 12:21
・HOOPさん、日本人なのに仏教の話は苦手な私です。(汗)
親鸞の浄土真宗の仏には一神教の思想がかなり入っているのではないでしょうか。
Commented by HOOP at 2012-04-04 20:20
親鸞の時代に一神教を伝えた人はいないと思いますが、
いずれも人の考えることですから、
なんらかの共通点があってもおかしくはないでしょうね。
Commented by antsuan at 2012-04-05 09:30
・HOOPさん、確かに人間の考えることですから、共通点はあってもおかしくないと思うのですが、それでも、神の位置づけの微妙な違いに、これほど翻弄される人間ってなんなのか、考えさせられます。
Commented by mimizu1001 at 2012-04-05 23:39 x
キリスト教は砂漠の宗教ですもの。
神は私たちの髪の毛1本に至るまで数えることができるとか。
日本みたいに隠れるところがたくさんある国ではやっぱり受け入れにくいんじゃないですか?
Commented by antsuan at 2012-04-06 12:57
・mimizu1001 さん、インドの仏教が栄えたところというのは緑豊かなところなのだそうです。
牧畜民族の神様は全てのものを隷属させてしまわないと気が済まない神様なのですね。