あんつぁんの風の吹くまま

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前方後円墳はヒミコが発案した神道文明の証だった

             文藝春秋三月特別号より
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[道教と徐福伝説からみる邪馬台国と狗奴国]

 現代の荒廃した日本を改めるには、古代史をしっかりと見つめ直すのが、意外と早道かも知れません。文藝春秋の三月号には『天皇陵に秘められた古代史の謎』についての夢枕漠氏と矢沢高太朗氏による対談が載っています。

 そのなかで、ヤマタイコク(邪馬台国)のヒミコ(卑弥呼)は、道教による祭祀を行なっていたと推察しています。この道教と神道とは共通性があって、日本には仏教が伝わってくるもっと以前から道教が伝わってきていて、それが神道になったのではないかとも、ここでは述べられています。

 しかし、もし日本文明がかなり昔から栄えていたとしたら、話は逆になるのではないでしょうか。つまり、紀元前三世紀頃の支那大陸に存在し始めた道教らしき自然信仰は、実は日本から伝わってきたものである、という仮説も成り立つと思うのです。出生不明の「老子」は、実は日本人だったのかも知れません。

 また、前方後円墳は卑弥呼が考案した墳形で、神仙の壺を真っ二つにした形に由来し、これは道教にある『壺中天』、つまり壺の中に桃源郷がある、という考えに基づいたものではないかと、対談には書かれています。

 そして、前方後円墳は千葉を中心に関東地方に圧倒的に多くあることから、ヤマタイコクは関東を中心に近畿まで支配していたのではないでしょうか。

 さらに、ヒミコはクナコク(狗奴国)と戦争中に死んだとされていることから、古事記などを検証すれば、ヤマタイコク(邪馬台国)の南に在ったクナコク(狗奴国)こそが、天皇が支配していた国ではなかったのではないでしょうか。

 つまり、クナコクの男の王がヤマタイコクの女の王と一緒になることによって大和朝廷が確立し、日本が統一されたと見てよいと思うのです。ヤマタイコクが滅ぼされたのではなく合併統一されたとみる理由は、大和朝廷の時代になっても、神道の祭祀にかかわる、前方後円墳が引き続き数多く造られていたからです。

 そして、大和朝廷の政に仏教の影が濃くなってくるに従い、前方後円墳は廃れていくのです。しかし、神道の影が薄くなったとはいえ、国の基本は現代にまで守られてきました。それが皇室の伝統であり、万世一系の思想なのです。

 この男系継承とは、他の国の男に支配させないという意味が込められてます。つまり我が国は、大和朝廷の昔から自主独立を守ってきた、世界で唯一の国家なのです。
by antsuan | 2012-02-18 11:31 | 思想・瞑想・時代考証 | Comments(6)
Commented by sweetmitsuki at 2012-02-19 07:14
「古事記」に記されている国譲り神話で中心的役割を担った建御雷神と経津主神を祀る鹿島神宮、香取神宮が茨城県と千葉県にあることからも古代の日本には、関東に畿内に匹敵する政治の拠点があったのは明らかだと思います。
神道のルーツが道教にあるのではなく、道教のルーツが神道というのは面白い説ですね。
それならば前方後円墳は壺ではなく、人形(ヒトガタ)を表しているのではないでしょうか。
前方後円墳とはこの世の統治者が死してなおこの世に君臨するための人工の肉体であり、あの世とこの世を行き来するための乗り物であり、それは女性の胎内にも通じているのだとしたら、それはまさに『死中に活を求む』であり、武士道にも繋がるものがあると思うのです。
Commented by antsuan at 2012-02-19 21:51
・何れにせよ、自然発生した独立自尊の国家形成を調べるためにも、恐れ多き天皇の御陵といえども、発掘調査をする時が来ていると思います。
Commented by HOOP at 2012-02-20 06:00
前方後円墳、蒲生君平が考えた名称ですね。
なるほど、関東でそうした国学研究が行われたのは幕府政治のせいばかりではないのかもしれませんね。
Commented by antsuan at 2012-02-20 12:14
・HOOPさん、前方後円墳という名前にひょっとしたら惑わされているのかもしれませんね。
sweetmitsukiさんが考えるように祭祀のための形状である可能性が高いと思います。
埴輪と銅鏡は同一墳墓から出てこないというのも不思議ですね。三種の神器の問題も含めて、御陵の調査を実施すれば、大和朝廷の国家形成について新しい発見があると期待出来ます。
Commented by HOOP at 2012-02-20 21:10
蒲生がどのように記述しているかの詳細を知りませんが、少なくとも比較的重要な古墳が前方後円墳であることには気づいていたと思います。
Commented by antsuan at 2012-02-21 12:13
・HOOPさん、考古学という概念がなかった江戸時代に、勤王の精神から古墳を調べあげたのだと思いますが、天皇陵として前方後円墳が破壊されることなく保全された蒲生君平の功績はまさに勲章に値しますね。