あんつぁんの風の吹くまま

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広島のおばさんの事

これは「重箱の隅でごろごろごまめかな」の60年前の今日のことへのトラックバックです。

 この二三日、どうも心が落ち着かないでいる。それはやはり「重箱の隅でごろごろごまめかな」の連載を読んだせいではないかと思うのだが、何かを書こうとしても頭の中で何もまとまらないのだ。

 気持ちを落ち着かせるつもりで一日ブログを休んでみた。しかし、未だ心は落ち着かないでいる。自分にとっては歴史上の事であっても、じかに体験した人の言葉の重みは、実際に体験したのと同じくらいに心に残るものだ。

 じつは広島のおばさんも被爆体験を持つ一人だった。祖父の妹という関係になる人なので最初から親しくしていた訳ではないが、自動車免許を取り立ての頃、友人と広島までドライブ旅行をした際、お世話になってから非常に親しくして下さった。

 広島カープのファンになったのもこの広島のおばさんの影響なのだ。お邪魔した時は江波という町に住んでいたのだが、被爆した時は広島駅の近くに住んでいたと言っていた。でんでんむしさんのブログにも書いてあるように、このおばさんも被爆した事を語りたがらなかった。原爆手帳も持っていたが、その事も成るべく他の人に知られないようにしていた。

 広島の平和記念公園へ行く前に話してくれたのだが、時々その光景が思い浮かぶのであまり話さないようにしていると前置きして、友人と私の二人に語ってくれた。
 
 おじさんとおばさんは幸運にも空襲警報が解除されて家に戻ってきたところで爆発が起きた。家がグシャッと潰れてきたという。おじさんは厠にいて助かった。おばさんもおじさんの声に励まされて何とか潰れた家からあちこちケガだらけになって這い出してきた。見たら地獄絵だったという。とにかく目に付く着る物を手当たり次第に取り出してそれを被りながら逃げたしたのだそうだ。あちこちから火が迫ってくる。潰れた家の中からは「助けて、助けて」という声がする。でもどうする事も出来なくて、「ゴメンね、ゴメンね」と言いながら逃げたそうだ。

 二三日したら髪の毛がごそっと抜け落ちてきて、身体がだるくなって動けなくなりそのまま死ぬと思ったけれども、血を流したのが幸いしたのか生き延びる事が出来たと、話を締めくくった。

 このおばさんは広島に身寄りが全く居なくなってしまったので、泣く泣く妹の住んでいる千葉の老人ホームへ越して来たが、それでもやっぱり、あの時の夢でうなされる事があると言っていた。

 広島カープが連勝し出した頃、ラッパの声援が鳴り響く野球中継を、昔はもっとえげつない応援をしていたんだけどねぇーと、ちょっぴりお酒を飲みながら観戦する広島のおばさん。その陽気だったおばさんの話の中には、言い知れぬ深い悲しみが漂っているのを感じない訳にはいかなかった。
by antsuan | 2005-08-08 16:16 | 身の回り・思い出 | Comments(2)
Commented by den8den8 at 2005-08-09 07:46
トラックバックしていただき、ありがとうございます。これで、逗子の人も少し読んでくれるかな。お酒をちょっぴり飲みながら、文句言いながら、カープのことにさまざまな想いが集約していく…。その、おばさんの気持ちが、とってもよくわかるんですね。
それにしても、言ってもしょうがないけど、あついですねえ。毎日。
逗子の花火はおわりましたが、こっちは今週末「東京湾」。でもことしはどうしようかなぁ。
Commented by antsuan at 2005-08-09 12:34
 あついですねぇー。でも広島の暑さはまたちょっと違いますよね。
蝉の鳴き声を聞きながら、この世に生きているのに、現実の傍観者みたいに何もしていない自分を、蝉の抜け殻のような物でしかないと感じる事があります。