あんつぁんの風の吹くまま

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変わらぬ山河

 台風一過の今日は、葉山から見る相模湾も穏やかに波ひとつ無く、いつもなら夏の賑わいで多くの釣り船が出ているところ、避難していて一艘も見当たりません。その海の向こうには、伊豆半島の青い山脈が、更に富士山が、梺に雲をたなびかせながら、澄んだ空気の中に浮かんで見えます。

 中学生の時に読んだ「愛と死を見つめて」と云う本の中で、大阪の病院に入院している恋人へ、「一緒に富士山を見よう」と、励ましの手紙を書く場面がありますが、何時も見ている自分でさえ感動するのですから、初めて観る人はどんなに感動する事でしょう。
 
 この富士山、江戸時代の中頃までは煙を吐いていました。ですから歌に詠まれていた頃は、鹿児島の櫻山のように不死の山として恐れられていたと思います。しかし、太平洋戦争中は、高々度を飛べるB29爆撃機にとっては格好の目印となって、関東地方に爆弾の雨あられを降らせました。
 
 台風の襲来や爆撃機の襲来が遭っても変わらぬ富士の山、変わらぬ山河。無常の世界。浜辺に立って相模湾を見渡す度に、己の小ささを感じます。
by antsuan | 2005-07-27 10:07 | 身の回り・思い出 | Comments(5)
Commented by knaito57 at 2005-07-27 17:50 x
誰の文章だったか。中学の教科書にあった「相模灘の落日」の格調の高さと、晩年の沢村貞子さんがその景色を愛したことを思い出しました。絶景といわれるインド洋に沈む夕日、ムンクが好んで描いた夕日、ぐっと下がってわが江戸川の落日……やっぱり太陽はえらいですね。
Commented by antsuan at 2005-07-27 19:10
そうです、沢村貞子さんは葉山のちょっと先の相模湾が一望出来るところに住んでいました。海外旅行は一度しか行っていませんが、オーストラリア西海岸のパースで見たインド洋に沈む夕日は確かに相模湾で見るものとは違っていましたね。それにしても富士山はどんな景色の中にでも綺麗に溶け込みその美しさを醸し出すところがやはり神秘的です。
Commented by den8den8 at 2005-07-31 11:10
「相模灘の落日」は徳富蘆花の『自然と人生』のなかの一節ですね。
わたしも、こういう昔の美文調は、好きなんですけどね。

それを思いながら、よく逗子海岸を歩きましたよ。
Commented by knaito57 at 2005-08-01 12:06 x
ああ、蘆花でしたか。なるほど、という気分です。私は千歳烏山なので、近くに友達も多い蘆花恒春園の雑木林でよく遊びました。あそこから「荏原郡千歳村」の道標をへて八幡山駅に抜ける「茶の木がつづく小径」は、今や私の記憶の中にだけ存在する土の道です。
Commented by antsuan at 2005-08-01 17:24
今、逗子市では、石原慎太郎の太陽の季節の記念碑を作る、作らないで揉めております。戦後の利己主義的な若者小説よりも、明治時代の若い息吹を今一度味わってみるのも悪くないと思いますね。