あんつぁんの風の吹くまま

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「日本辺境論」に物申す

[主題]
    「内田 樹の『日本辺境論』に欠けているもの」

[要旨]  
    「日本辺境論」は現代日本人の行動心理つまり振舞いについて的確に論じている。しかし、そこには日本文明という観念が曖昧に処理されいて、辺境意識の結論を見いだすことが出来ない。日本文明は他の文明とはっきり区別される特異な文明であり、それは八百万の神々との共存を前提とする、時空を超えた"国際関係"を意識していた文明なのだ。

[主文]
    日本人は何処から来たか。このようなことを考える理由は、日本が辺境であるという意識があってのことではない。日本文明という独特な文明が形成されたいきさつを確認したいからである。

 日本は現存する世界最古の国家である。それは土器の歴史を調べればわかる。日本の土器が支那大陸どころか、アメリカ大陸にまで渡っていたと考えられる証拠があるのだ。しかし、そのような推論は別にしても日本と同じような文明を有していた民族が他に居たのではないかと思わずにはいられないほど、日本文明は他の文明に比べてあまりにも特異的である。

 おそらく中南米のマヤ文明と共通点を持つと考えられるが、中南米の文明が欧州から来た民族に滅ぼされてしまったのに対して、日本文明が滅ぼされなかったのは日本が辺境であったからではない。欧州の民族から独立国家として認められていたからである。ここが日本辺境論では曖昧にされているところなのだ。

 それに対して、宗教学的文明論から論じる場合は、辺境であるか中国(中心になる国)であるかの問題は避けて通るわけには行かず、多くの宗教哲学者が様々な説を論じている。

 興味深いというか、私にとって解明したいと思っていたことの一つに、なにゆえ、空海(弘法大師)がさっさと日本に戻って来たのかという疑問がある。私の結論は、空海は、世界中の民族が集まっていた大都市長安に行って、日本こそが桃源郷と呼ぶに相応しい文明の整った国であると気が付いたからに違いないというものである。

 私の持論は別にしても、当時の日本人においても日本を辺境な地域であるという認識は少しもなかったに違いない。あったのは、豊かな国際感覚と他の文明との共存意識だったのではないだろうか。
by antsuan | 2011-06-04 13:25 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(4)
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Commented by sweetmitsuki at 2011-06-04 20:14
縄文人は土器から塩を精製していたので塩干物あるいは塩そのものを通貨とした広大で海外にまで勢力の及ぶ経済圏を築いていたと思っています。
にもかかわらず、火焔土器や水煙土器のような宗教色の強い土器は沿岸部ではなくむしろ内陸部で多く出土しているのですが、当時の、そして一昔前までの日本人はどちらが中心でどちらが辺境かということはあまり気にしていなかったのではないのでしょうか。
Commented by antsuan at 2011-06-04 20:45
・朝貢外交は今のサミットや国際会議に出席するためのお土産みたいなものだったでしょうし、脅しに来た特使の首を刎ねたりしていましたからね。

mitsukiさん、あの本は明快な論理で納得のいく説ではあるのですが、日本人が卑屈になったのは戦後のことだという認識が欠けていると思っています。
Commented by Emitan at 2011-06-04 21:51 x
桃源郷其処は他の民族が欲しがる土地なのでは無いでしょうか?早く軍隊を持つか、どちらかに所属しなきゃ・・・でも原発被害で汚染された地なんだけど!
Commented by antsuan at 2011-06-05 05:23
・Emitanさん、一神教の文明を持つ民族から見ると、自然災害だらけのこの土地は、とても桃源郷には見えないはずなんです。でも、プルトニウムのごみ溜めとしてはちょうどよいと思い始めているかも知れませんね。(T_T)