あんつぁんの風の吹くまま

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真実を見詰めることなくして、日本人としての新生のいとぐちを、何処に見いだし得よう。

      原子力発電所建設は戦艦大和建造と同じではなかったのか。
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        本をクリックすると文字が大きくなります。

by antsuan | 2011-05-06 07:20 | 思想・瞑想・時代考証 | Trackback | Comments(2)
Commented by mimizu-1001 at 2011-05-06 12:49
この著者は「戦争」に対する肯定・否定という言葉の使い方をしているので、その部分だけで話をすれば批判も集まるかと思います。
でも、この方が伝えようとしている世界は、わかる気がします。
その上で、この方が新生という言葉を使われていることも、なんとなく。
その意味で、今あちこちでブームのように湧き起っている原発反対は、全ての原発が廃止になっても、新生にはつながらないと僕は思っています。
僕は原発要らない派ですが、その理由は原発が危険だからではありません。
僕は戦争否定派ですが、その理由は、戦争が危険だからです。

>本をクリックすると文字が大きくなります。
クリックしても本の写真が大きくなるだけの気が(笑)
Commented by antsuan at 2011-05-06 13:58
・広島・長崎に次ぐ第三の被爆をしたことで、日本人は新生のいとぐちを見いださなければいけないと思うのです。(過ちは犯しませんって誓ったのにね。)

「単なる戦争否定は無力であり、むしろ当然過ぎて無意味」なのです。原爆を使用したり無人飛行機で爆撃したり、ロボットに人殺しをさせている米国は、"危険ではない"戦争を実践しています。(-_-メ)

>クリックしても本の写真が大きくなるだけの気が(笑)
文字が見やすくなればいいんですっ。( ̄^ ̄)凸