あんつぁんの風の吹くまま

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アメリカ兵は平和の使者ではなかった

 天皇陛下がサイパンを慰霊のために訪れ、バンザイクリフを眺める場所で黙祷を捧げたられた。

 だいぶ前のことになるが、家内の実家にお邪魔しているとき、サイパン旅行が九州や北海道に旅行するよりも安いという話になった。私がサイパンや沖縄には観光で行く気はしないと言ったことろ、東京大空襲を間近に体験した岳父は頷いてくれたが、家内は全く其の気持ちが分からないと言った。

 どんな戦いでも悲惨である。まして市民を巻き込んだ戦いは酷いの一言でしかない。私自身も陛下と同様、慰霊の気持ちの区切りを付けないかぎり、サイパンには旅行する気になれないのだ。

 しかし、このような酷い戦いを強いた日本軍が悪いのだという話は、歴史を歪曲することに成るので注意が必要だ。
 
 確かに日本軍は捕虜になるなという指示を出している。何故か。
 
 支那で日本兵が捕まるとどうなったか。「死者の首を切り、面皮を剥ぎ取り、或は男根を切り取り、胸部を割て入るるに石を以てす」と云う残虐極まれない仕打ちを受けたのである。また歴史的に抹殺されようとしている「通州事件」では多数のコリア人を含む日本人居留民が惨殺された。婦女子に至るまで二百六十人もの民間人が人間がするとは到底思えないような酷い行為をもって殺されたのである。
 
 アメリカ兵においても、投降した日本兵を英語がわかる者以外は捕虜にすることなくその場で射殺したのである。此れはリンドバークの従軍記に書いてある。勿論、無差別空襲や無差別艦砲射撃もアメリカ軍は躊躇無く実行した。

 其れと比較して、当時の日本軍はもっとも戦時国際法を理解し、世界のどの国の軍隊と比べても、それを守った軍隊であった。今風に云えば、グローバルスタンダードを一番遵守していた軍隊であるといえる。それは識字率の高さだけから云うのではない。鹿鳴館の時代からその意識はあったし、義和団の乱の鎮圧においては、英国紳士がほれ込むほどの最高のマナーをもって行動し、それが日英同盟に繋がる結果を生み、日露戦争においてもその国際法遵守は遺憾なく発揮され、世界の一等国の仲間入りをすることが許されたのである。その流れは日中戦争においても太平洋戦争においても変わることのないものだった。

 慰安婦問題一つについてもそのことがはっきりしている。日本軍は現地の女性を慰安婦として調達することなく、自国から慰安婦を募り連れてきている。こんな軍隊が他の国にあっただろうか。民主主義国家と云われる米軍ですら日本に進駐した際、現地である日本の女性を慰安婦として調達させているのだ。

 翻って、当時の支那大陸では、ほとんど内戦状態であっただけでなく、国民党の軍隊でも、共産党の八路軍においても、戦時国際法などを理解し遵守し得る組織ではなかったと断言して良いだろう。
 
 従って、このような戦時国際法を守らず、虐殺を平気でしてくる国を相手にした日本軍としては、捕まって惨たらしい目に会うよりも潔い死を選べとしか云えなかったのである。(詳しくは「渡部昇一の昭和史」を読まれたい)
 
 バンザイクリフの惨劇は戦時国際法を守らない国の軍隊から逃れる手段として生まれたのだ。
 
by antsuan | 2005-06-29 17:09 | 思想・瞑想・時代考証 | Comments(0)