2010年 03月 09日
ブログを始めて五年
ブログを始めてからもうじき五年になります。日本だけでなく世界中の世の中が激変しつつある中で、よく続いていると思う反面、激動の世の中だからこそ続けてこれたのだと思ったりしています。
我がブログを訪れて下さるさまざまな方の意見を拝聴していると「目からうろこ」の連続で、社会を見る目、人間を見る目に幅を持てるようになって来たと自分でも感じることが出来ます。 しかし、実は人を判断する基準はそれほど変わっていません。その基準とは、その人がどれだけ死んでゆく人を見てきたかという単純なものなのです。 戦前は結核は不治の病でしたし、徴兵による戦争体験も普通のことでしたから、祖先の人びとは死と隣り合って生きていたことは明らかです。ですから、先人たちは価値ある生き方を知っていたはずなのです。 では戦後の日本人はどうでしょう。医学が飛躍的に進歩して死んでゆく人を身近に見かけなくなりました。それと同時に、価値ある生き方について、心して考えることも殆ど無くなったのではないでしょうか。 幸か不幸か、私は医療界に身を置いているために、普通の人びとよりも死んでゆく人を数多く見ています。そして死んでゆく人を見ると、その人が価値ある生き方をしたかどうか、どうしても脳裏をかすめてしまうのです。そして、当然、自分はどうだろうといや応なく振り返ることになります。 本物の人間とは、死を怖がらない、いつでも死ぬ覚悟が出来ている人間でありましょう。 そういう生き方を知っている人と親交を深められることを願いつつ、相変わらず喜怒哀楽をむき出しにして、これからもブログを続けたいと思いますので、皆様よろしくお付き合い下さい。
by antsuan
| 2010-03-09 23:14
| 情報通信・パソコン
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Comments(18)
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mimizu-1001 at 2010-03-09 23:47
>本物の人間とは、
冷酷なアンドロイドだけど今後ともよろしく!
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antsuan at 2010-03-10 08:24
・人の心を傷つけてしまうから討論しないというのは、矛盾していると思うのですよ。お互いの個人を尊重すればするほど、相手を理解するための討論は必要だと考えるのです。
ということで、このブログでは好き勝手なことをどんどん言わせてもらいます。 悪しからず。
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mimizu-1001 at 2010-03-10 18:03
「相手を理解するための討論」はたしかに必要と思いますが(必要ではあっても時を選ばなければならない場合もありますが)、相手を罵倒することを目的としてディベートをふっかけてくる輩もいます。
言葉の端々に悪意を満載しながら、整合性のない屁理屈を並べ立てるだけ。 そういう輩相手に必要なのは討論ではなく討伐でしょう。
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sweetmitsuki at 2010-03-10 18:21
人の心を傷つけてしまうから討論しないというのは、矛盾していますか。
それでは忌憚なく。 雛祭りの記事で、女の居場所の確立したところを「家」というとおっしゃっていましたが、英語では、建物としての家をハウス、○○家というように一族を指す場合はザ・○○、家の存在を表す時はホームというように使い分けています。 ところが、日本では一律して「家」です。 つまり日本では、家族を産んだ母親(女)を取り巻く抽象的な空間すべてを「家」と呼んでいます。 家における女性の存在はもっと大きくて広範囲なのではないでしょうか。 それからどこかのブログで、杓はカンペだったと書いてありましたが、それはチャイナの話で日本では違います。 チャイナの律令制度を日本はそのまま取り入れてませんから、歴史初心者の人なら、間違えても仕方のない事ですが、間違いは間違いです。 これも相手を理解するための討論なのでお気を悪くされぬよう。
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sweetmitsuki at 2010-03-10 18:24
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antsuan at 2010-03-10 19:23
・みみずすましさん、ヨーロッパのサッカーの試合を御覧なさい。相手を罵倒するのがサポーターの楽しみみたいなところが有るじゃないですか。殺し合い殴り合いをしないのですから、討論は平和な闘いなんですよ。
少なくとも、皆さんの罵倒ぶりを見ているとまだまだ紳士的であり、もっともっと心をむき出しにして激論してもいいと思います。 聞くところによると、ソニーの取締役会はほとんど殴り合いに近いような議論を戦わせるそうです。しかし、いったん取締役会で決まれば、反対論者であっても徹底的にその決議を守るそうです。
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antsuan at 2010-03-10 19:43
・mitsukiさん、遠慮はいりません。お好きなだけ意見を述べて下さい。
英語圏では女の居場所の確立したところをさす言葉はないということでしょうか。 女性の存在がもっと大きくて広範囲だとすれば、男の居場所がなくなるんですけれど・・。 カンペって、カンニングペーパーのことですね。そうそう日本の女性だったらそんなもの全然必要ないと私も思っていたところです。
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antsuan at 2010-03-10 19:43
・ブログの管理者として、気を悪くするようなコメントとはちっとも思っていませんので、他の方も、このブログのコメントを読んで気を悪くするようなことを決してしないで下さい。
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mimizu-1001 at 2010-03-10 23:36
ま~、シャクにさわる!(笑)
後は弁護人の方でよろしく。 今はおもしろいネタがあるんで当分それで遊ぼうと思ってるんですが、 >相手を罵倒するのがサポーターの楽しみみたいなところが有るじゃないですか。 バカからかうのが楽しい時ってありますけどね、ハッキリ言って。 でも、それは討論とは言わず、罵り合いじゃないでしょうか。 >殺し合い殴り合いをしないのですから、討論は平和な闘いなんですよ。 平和なじゃなくて、平和的なだと思います。 言葉は人を殺す場合があると思いません? そういう場合、結果としては自殺なわけで、死んだ人間の弱さの問題ですが、でもそれで片付けることができるのは冷酷なアンドロイドだと思います。 で、僕はそれができる人間だと自分のことを思ってます。
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sweetmitsuki at 2010-03-11 03:58
>男の居場所がなくなるんですけれど・・。
ラフカディオ・ハーンの小説に「破られた約束」というとてもとても怖い物語があり、その辺の事が書かれています。 児童向けの図書で10分もあれば読めてしまう話なので一読をお勧めします。 それからまた横レスですが、バカからかうのが楽しい時ってありますけど、それは紳士淑女のやる事ではありませんよ。 で、私は紳士淑女の類ではありません。
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antsuan at 2010-03-11 11:56
・みみずすましさん、確かに討論ではなく罵り合いなのですが、生きていくためにはこういうガス抜きが必要悪として残されていいのではないかと思うのです。
>言葉は人を殺す場合があると思いません? これはわたしの持論でもあるのですが、そのために人を見る目を常に養っておく必要があると思うのです。 西南戦争のさいに、勝海舟は、腹を割って話し合ったことのある西郷隆盛の説得役を頼まれたのですが、断ったそうです。死に行く人を見つめてきた人間は、悟りの中にそういう冷徹さも秘めているのだと思います。
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antsuan at 2010-03-11 11:56
・mitsukiさん、とてもとても怖いんですよね、あの話。眠れなくなるといけないので読むのを止めておきます。
横レスの相手の弁護人(非公認)として。 多分、彼はここのブログでは手を出してこないと思いますよ。そういう意味では、彼は紳士的でもあります。 正直なところを申し上げますと、私も最初はあなたを男ではないかと疑っていました。 何故かといえば、女形の歌舞伎役者のように、あるいは浄瑠璃の人形遣いのように、あの女の人形を通して男がブログを書いているように見えたからです。 また、mitsukiさんの歴史認識、時代考証、モノづくり、写真の構図など、すべてにおいて女性の域を超えていると思ったからでもあります。ある意味、上坂冬子女史でも敵わないのではないかと感じています。ですから、横レスの相手がおんなじ思いを持ったとしても十分納得出来るのです。 "男まさり"が、女の人にとっては敬意を含んだ言葉だとは思わないかも知れませんが、やっかみを含んでいる分、男の敬意の表現として理解して欲しいなぁと思います。
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yuuko-11 at 2010-03-11 16:32
ブログでののしりあいたいとはあんまり思っていない者なのだが
まあ、実生活でもそうだな。 ただ、実生活はそうせざるをえないこともあるな。 とりあえず、ののしりあいはごめんだけど、これからもよろしくお付き合いください。 あっ、そうそう、他の人がする分にはどうぞご自由に(逃)
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mimizu-1001 at 2010-03-11 18:25
必要悪が必要と考えるのは僕も同じです。
暴力も必要と思っています。 でも、それを最低限に抑える努力を怠ってはならないと思います。 その意味での討論は、あんつぁんの意見に全面賛成です。 で、討論というのは論を闘わせることですよね。 論のない、ガス抜きしたいだけの人間の相手はゴメンです。
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antsuan at 2010-03-11 19:25
・夕子ママさん、確かに罵り合いは勘弁して欲しいと私も思いますが、人間にも野性的感情がある以上、ある程度はやむを得ないのではないかと思います。
犬と人間の場合でも同様なことがいえなくもないと考えるのですが・・。
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antsuan at 2010-03-11 19:25
・みみずすましさん、ごもっとも。と、言いたいところなんですが、人間といえども生理学上、心理学上、行動学上、野性的なものを排除出来ないと思っています。
ですから、ガス抜きしたいだけの人間の相手をすることも覚悟しなければならないのではないでしょうか。
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mimizu-1001 at 2010-03-11 23:27
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antsuan at 2010-03-12 10:05
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平成15年(西暦2005年)3月開設
世の中、理不尽なことが多すぎます。それが普通の世界だということがようやく分かってきました。しかし人間として生きるためには獣のように本能に心をゆだねるのではなく、精神をしっかり持たねばなりません。「健全なる肉体に健全なる精神を宿らしめよ」を自戒の言葉に、右左あんつぁん(東北弁で臍曲がりなこと)の本領を発揮して、いろいろ書いてみたいと思います。どうぞ宜しく。
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