あんつぁんの風の吹くまま

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誤解される喜び



 五十を過ぎた頃からだろうか、誤解されることの喜びというものが分かってきた。山本周五郎の短編小説にも似たようなものがあって、確か、藩内のいざこざで決闘騒ぎがあった時に、妻が機転を利かせて決闘の時刻を知らせなかったことが、逆に主人公が仲間を裏切ったという噂になり卑怯者と誤解され苦悶するのだが、自分が憎まれ役になることで藩全体がまとまっていくのを見て、その誤解を甘んじて受け入れる。という筋書きだった。

 誤解されるということは、今までの通念では理解されない、つまり時代の先駆け的なことを自分自身が成し遂げようとしているのだと思うようにしている。それが事実かどうかは歴史が証明することなのだから生きているうちに分かるようなものではつまらない。そう考えれば誤解されることは苦痛でも何でもない。

 しかし、自分のせいで、部下や親しい人が誤解されるのを見るのはやはり辛いものだ。まして、その人の今まで生きて来た人生そのものを否定してしまうような誤解があった場合はなおさらである。往々にしてその場合というのは誤解する相手も信頼している人なのだ。たとえ、こちらが動いてその誤解を解いたとしても双方に深い傷が残ってしまう。実は、正月早々にそのような出来事があって、その修復に頭を悩ませているところだ。

 人に働いてもらうということは本当に難しい。誠意を込めたら理解してもらえると思っているうちは、経営者としては失格だと心を引き締めている。

 
by antsuan | 2010-01-07 23:21 | 文学・教育・科学・医療 | Trackback | Comments(8)
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Commented by Emitan at 2010-01-08 09:08 x
本当の誤解で、絶対必要な人なら、捨て身で体当たりすれば、何とか成ると思いますが、大抵は、其処までする事は無い?と言う思いとか打算が少しでも在れば、それが通じて仕舞うようです。彼女を口説くのと同じでは?それに冗談でも、ある程度は真意が含まれて居ると言う様に、少しは此方に火種が在るようです。どちらが得かか考える余裕が在れば、通じないかも?
Commented by antsuan at 2010-01-08 09:54
・誤解する原因が相手に対する思いやりだったりすると完全に感情的なものになってしまいますので、それを癒すには一回や二回の捨て身では済まされないことになります。
Emitanさん、わたしの職場は女性社会なので、あちらを立てればこちらが立たずの、針の穴に糸を通すような難しさがあります。
Commented by Emitan at 2010-01-08 17:44 x
女社会かー!余り突っ込み過ぎると、その時は解決しても、後から強敵に変身なんてね。私の職場も殆ど女:講義に行っても女60人(全員18歳)の中で一人:エアロビクスの教室でも回りは女:そんな20年以上を過ごしました。信頼できる代表者に任せてしまえば、わりと楽でしたが、危険もはらんで居ます。彼女が出る杭を抑えて居たのです。だから後輩が育たない!
Commented by mimizu-1001 at 2010-01-08 20:31
個人対個人ならダンマリかませば決着つけることから逃げることもできますが、相談される立場にある者はなんらかの判断を下さなければなりませんよね。
自分の下した判断に対する周囲の評価と戦わなければならない経営者の立場、実感として察することはできませんが、大変なのだろうなぁと思います。
Commented by antsuan at 2010-01-08 23:32
・今では女性の社会だけではないと思いますよ。
Emitanさん、こちらの職場の場合はその逆で、後輩を育てようとするとそれを苛めだと言って邪魔をするのです。そして、それを本気にする連中がいっぱいいるんです。
Commented by antsuan at 2010-01-08 23:32
・みみずすましさん、そうなんです。経営者はどちらの味方もしてはいけない場合が多いのです。そして、ギリギリのところでダメなほうを辞めさせる。傷ついたほうもそれで成長してくれればよいのですが、なかなかうまくは行きません。頭が痛いです。
Commented by anthonberg at 2010-01-11 20:06
出来るようで出来ない方が多いですが、問題が生じた時にその『問題』だけを見つめ直せばいいと習いました。感情や自分の意見は捨てて、何が原因で何が問題なのか。そうすれば誰かの味方になるとかではなく問題に集中出来ると思います。
私は女ばかりの職場ですが、経営者に相談する問題は役所の節約のせいで起きる問題であって、人間関係とか誰がどうとかじゃないです。
後輩を育てる、という事はそもそもその後輩は『プロ』としてみんなと同じレベルじゃないって事なのでしょうか?必要な知識などが不完全なら講習など受けさせるべきでそれは重要な『育て』の一部じゃないでしょうか?
邪魔をするという職員達に仕事、という部分にフォーカスを当てるという考え方を説明する方が先なのかもしれませんね。
Commented by antsuan at 2010-01-11 22:26
・anthonbergさん、職場そのものが教育の場であると考えているのですが、各人にその意識がなければうまくいかないのはもちろんです。

>『問題』だけを見つめ直す
その発想は一神教的な発想のような気がします。(笑)