あんつぁんの風の吹くまま

ブログトップ | ログイン

イーストウッド最期の西部劇

「グラン・トリノ」についてもう少し書こう。

 イーストウッド扮する主人公が洋服を新調する場面が出てくる。正直いってなんでこの場面をわざわざ折り込んだか分からなかった。しかし、映画を見終わってこの映画が「武士道」そのものだと思った時に気がついた。そして前に観た山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」を思い出した。

 真田広之扮する主人公清兵衛が、決闘に赴く前の装束を調えるために、恋人の宮沢りえにその介添えを頼む場面がある。そうなのだ、武士は身だしなみを大切にするのだ。だから「グラン・トリノ」のこの場面の意味を理解出来るのは、武士道を知っている人しかいない。

 また、護身用に何時も彼の家において在る銃はM1カービン銃だ。そう、私が自衛隊の教育隊で持たされたのもこの銃だった。本物の銃を持ったという気持ちのあの感触はいまでも忘れてはいない。しかし、主人公は朝鮮戦争で戦ったことを誇りにしながらも、この銃と銃剣で人を殺したことの心の傷を隠し持っていたのだ。そして、朝鮮戦争時の勲章を少年の胸に差しながら、それが血で汚されたものでしかないことを告白して決闘に赴くのだ。

 正義感溢れる少年に手を汚させまいとする主人公の配慮。この場面も実に日本的ではないか。そして最期に、主人公は自分が一番大切にしていたグラントリノを少年に譲るのだった。正義とは何かを身をもって証明しながら。

 淀川長治が生きていたら、きっとこんな解説をしてくれただろう。「あの映画はイーストウッド最期の西部劇なのだ」と。
by antsuan | 2009-11-25 12:25 | 文学・教育・科学・医療 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://antsuan.exblog.jp/tb/10492242
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。